「すい臓がん」が「難しい」といわれるのはなぜでしょう
医師 若杉慎司
【八千草薫さんがすい臓がんに】
女優の八千草薫さん(88)が昨年1月に、すい臓がんの手術をしていたと報道されました。人間ドックですい臓がんが発見されたそうです。
その後、約2カ月間療養し、抗がん剤治療などを受けながら、仕事に復帰されていました。ところが、今年に入ってから体調を崩すことが多くなり、がんが肝臓に転移していることがわかりました。
このため、すべてのお仕事をキャンセルされ、再び闘病生活に入るとの報道でした。
八千草薫さんといえば、「理想の奥さん」「理想のお母さん」との役柄が多く、優しい口調と穏やかな雰囲気が魅力的な女優さんです。数々の名演で、日本が誇る大女優のお一人でもあります。
90歳に近づいてもなお、美しくも愛らしい女優として輝き続ける八千草薫さんを襲ったすい臓がんとは、どのような病気なのでしょうか。
すい臓は、胃の裏側に位置し、横に細長い形をしています。
ここでは、食べものの消化をうながすための膵液が1日に約1~1.5リットルもつくりだされています。
また、体内の血糖値を調整するホルモンであるインシュリンをつくるのも、膵臓の役目です。すい臓がんが進行して機能が障害されと急に糖尿病が発症したり悪化することがあります。
この臓器にできるがんが、すい臓がんです。
すい臓がんは、他のがんに比べて「治療の難しいがん」といわれます。
実際、治療の有効率を示す5年生存率は、平均して3割にも届きません。
なぜ、すい臓がんは治療が難しいとされるのでしょうか。
このブログでは「がんという病気は、早期発見早期治療が大事」とたびたびお話ししてきました。
たとえば、胃がんや大腸がん、乳がん、子宮頸がん、前立腺がんなどは、早期がんの場合、がんの部分を切り取れば完治する確率が高まります。
ところがすい臓がんは、第一に早期発見が難しいという問題があります。
早期発見のために必要なのは、適切な検診を受けることです。
ところが、自治体や保険組合で受けられるがん検診に、すい臓がんは含まれていません。
すい臓がんは、患者数の多いがんの一つです。現在、年間約4万人が罹患し、約3万5000人近い人が亡くなっています。
がんで亡くなる人のうち、すい臓がんは男性が5位、女性が4位にのぼっています。
しかも、ここ数年、すい臓がんの罹患率はだんだんと高くなっています。
それなのになぜ、自治体や保険組合ではすい臓がんの検診を行わないのでしょうか。
答えは、すい臓がんが「進行が速く、検査をしても早期発見が難しく、治療も困難な悪性度の高いがん」だからです。
1年に1度検査を受けていても、残念ながら手遅れになることが多い病気の場合、正直なところ、多額の公費をかけて検診を行う意義が薄らぎます。
しかも、すい臓がんには「この検査をすれば、早期がんを発見できる」という安価で身体の負担の少ない妥当な検査が、現在のところまだありません。
こうしたことから、自治体によるすい臓がん検診の実施はなかなか進まないのです。
【すい臓がんの人間ドックとは】
たとえば胃がんや大腸がんの場合、運がよければ、自覚症状を感じることができます。これまでなかったような違和感や不調を覚え、医療機関で検査を受けたところ、早期のがんが見つかったというケースもあります。
ところが、すい臓がんでは早期の段階で症状が現れることがほぼありません。
これはすい臓が、消化液やホルモンを分泌する臓器だからです。
消化管にがんができた場合、ものが通過する際に、突っかかる感じや痛みなどを感じることがあります。大腸がんの場合、排便の際に出血することもあります。
ところが、こうしたことのないすい臓は、違和感を覚えにくいのです。そのため、自覚症状から早期発見することがほぼできません。
自治体の検診もない、自覚症状もない、ということになると、早期発見できる唯一の方法は、人間ドックになります。
八千草薫さんも、人間ドックにてすい臓がんを早期発見されました。
現在のところ、すい臓がんの発見のために人間ドックにて行われる主な検査は、腹部エコーです。
すい臓の検査では、もっとも簡単で、患者さんの負担の少ない方法といえるでしょう。
人間の耳には聞こえない高い振動性をもつ音波を「超音波」といいます。この超音波を対象物に当て、その反響を映像にする画像検査法をエコー(超音波検査)といいます。
腹部エコーでは、すい臓に加えて肝臓や胆のう、腎臓、脾臓など、腹部にある臓器や、下腹部にある膀胱、前立腺などの臓器に病変がないか診ていきます。
ただ、すい臓の場合、胃の裏側、人の背中側にあるので、エコーが届かないことがあります。
また、肥満で脂肪が多いケースや、胃腸にガスがたまっているケースでも、すい臓にエコーが届きにくくなります。
こうした点も、すい臓がんの早期発見を難しくする理由の一つです。
すい臓がんの検査法は他にもあります。
造影剤を使用するCT(コンピューター断層撮影)検査や、特殊なMRI(磁気共鳴像)検査(MR胆管すい管撮影:MRCP)、EUS(超音波内視鏡)などの検査法です。これらはいずれも費用がかかり、患者さんの負担も大きいため、腹部エコーにてすい臓がんが疑われた場合にのみ行われることの多い検査です。
【すい臓がんの治療が難しい理由】
すい臓がんというと、2018年1月に亡くなられた星野仙一監督が記憶に新しいところです。
元横綱千代の富士の九重親方、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏、歌舞伎役者の10代目坂東三津五郎さん、だいぶ前の話をすれば、安倍晋三首相の父安倍晋太郎氏もすい臓がんで亡くなっています。
すい臓がんの治療では、手術によって患部を切除できるかが重要です。
この手術は「膵頭十二指腸切除術」といい、消化器外科の手術のなかでもっとも難しいものとなります。そのため、すい臓がんの手術をできる医師は、限られてきます。
患者さんの身体に与える負担も大きくなります。入院が1カ月を超えてしまうケースもよくあります。
また、手術は成功しても、数年後に再発して他臓器に転移するケースもめずらしくありません。
手術でがんをとれなかった場合は、抗がん剤や放射線を使った治療が行われます。
ただ、現状のところ、これらですい臓がんを治すことは難しく、がんが他に転移してしまうことが多くなります。
それでも最近は、すい臓がんのための抗がん剤治療が進歩してきています。使える薬の選択肢も増えてきました。
がん治療の現場は、日進月歩のスピードで進んでいます。
20年前には胃がん、大腸がん、肝がん、子宮がんは予防を十分にできる体制がありませんでした。ところが、現在ではこれらのがんにおいて、治療、延命が大幅に期待できるようになっています。
すい臓がんに対しても、今後、検査法・治療法ともに大きな進歩が望まれています。
現に、まだ研究段階ではありますが、血液検査での診断が成果を上げてきているのも事実です。
【すい臓がんは予防が重要】
現在のところ、すい臓がんは検査・治療ともに難しいがんであるだけに、生活のなかでの予防がもっとも重要です。
米国では、「米国人のための食事ガイドライン」にしたがった食事スタイルを続けた男性は、そうでない男性に比べて、すい臓がんリスクが17%低くなることが、53万人以上を対象とした調査で明らかにされました。女性では13パーセント減少しています。
「米国人のための食事ガイドライン」では、以下の食生活をすすめています。
◎カロリーは必要なだけ。栄養は十分に
◎適正体重の維持(肥満はすい臓がんのリスクファクターに)
◎適度な運動
◎野菜、果物を多くとりましょう
◎脂肪のとりすぎに注意を
◎肉類・加工肉を食べすぎない
◎食塩、ナトリウムをとりすぎない
◎アルコール飲料を飲みすぎない
(日本生活習慣病予防協会HP参考)
糖尿病や喫煙がすい臓がんの発症を促すことも分かっています。
日々の生活のなかで改善できるところも多いと思います。
現在のところ、上記の点を心に置いて生活することが、すい臓がんを予防するいちばんの方法といえるでしょう。