「オブジーボという薬について」
医師 若杉慎司
一生のうち、2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなるといわれる現代。がんは、私たちにとって身近な病気の一つになっています。
そうしたなか、昨年の10月、京都大学高等研究院の特別教授である本庶佑(ほんじょたすく)教授が、がん治療における〝新たな発見〞をした功績により、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
これにともない、連日、報道にて「オプジーボ(一般名ニボルマブ)」の名がとりあげられました。
では、オプジーボとは、いったいどのような薬なのでしょうか。ときに「夢の新薬」ともたたえられ、「すごい薬なのだろう」とはわかっても、「どんな働きをするの?」と理解の難しいところもあったと思います。
そこで、オプジーボについて、わかりやすくお話ししてみましょう。
【オプジーボは免疫細胞に直接働きかける薬】
私たちの身体のなかでは、免疫というシステムが働いています。
免疫とは、「『自分(自己)』と『異物(非自己)』を認識して、異物を攻撃して排除するシステム」のことです。
免疫はウィルスや細菌などの外来の病原体からの攻撃に対抗することもあれば、人間の体内でできる一日6千個のがん細胞や不要になった細胞を排除したりします。
インフルエンザワクチンはインフルエンザウィルスが体内に入ってきたときにすぐに排除できるようにする免疫の状態を準備するためのものです。
免疫システムの主役は、白血球。血液の一つの成分であり、さまざまな免疫細胞の集合体です。ウイルスや細胞などの「異物」が体内に侵入してくると、免疫細胞は連携してこれを退治します。がん細胞は、人の体内で発生しますが、免疫にとっては「異物」と判断され、排除の対象とされます。
その免疫細胞のなかに、T細胞と呼ばれるものがあります。
T細胞は〝免疫のかなめ〞です。がんに対しても、がん細胞の増殖や転移を抑える働きがあります。
オプジーボが働くのも、このT細胞に対してです。
T細胞は、ウイルスや細菌など体内に侵入してきた外敵を攻撃します。ただ、攻撃があまりに強くなりすぎると、その攻撃が飛び火し、自分自身の細胞を傷つけることになりかねません。
免疫がコントロールを失って暴走して引き起こされるのがアレルギーや自己免疫性疾患です。気管支喘息、アトピー性皮膚炎、花粉症、アナフィラキシーショック、じんましんなども身近な免疫異常によるトラブルです。
通常は免疫による細胞への攻撃は必要以上には行われずに制御されていますが、何らかの抗原が体内に入って過剰に反応した状態です。
したがって免疫は強ければいいわけではなく、攻撃しすぎないように調節されていなければなりません。
T細胞の表面には、その攻撃にストップを命じる分子がついています。それを「PD‐1」といいます。
免疫をコントロールする機能のひとつです。
PD‐1は、たとえてみればT細胞の暴走をくい止めるためのブレーキとなります。
ところが、がん細胞はその働きをたくみに利用します。がん細胞が免疫細胞からの攻撃にさらされると、そのブレーキを踏む「PD‐L1」という分子を出すことがわかったのです。それによってがん細胞は、免疫細胞の攻撃を止め、とめどなく増殖を続けていくことができてしまうのです。
本庶教授が発見されたのは、このPD‐1です。そして、T細胞のブレーキをがん細胞にかけさせないためにはどうすればよいかと考えました。
そこで開発されたのがオプジーボです。オプジーボは、がん細胞がPD‐1と結合してブレーキを踏ませないようブロックする薬です。これによって、T細胞は働きを低下させることなく、がん細胞をどんどん攻撃し、排除していくことができるのです。実際、腫瘍が小さくなり、消えたケースも報告されています。
なお、免疫細胞に直接働きかけるこの薬は、「免疫チェックポイント阻害剤」と呼ばれます。
【がんの万能薬は存在しない】
これまで、がんの治療には、抗がん剤が主に使われてきました。抗がん剤は、がん細胞そのものをたたくための薬です。ただ、がん細胞を殺す一方で、自分の正常な細胞にまで攻撃を加えてしまいます。それがときに、つらい副作用を起こすことが多くありました。
これに対してオプジーボは、免疫細胞に直接働きかけてがんの成長を抑制する薬であり、がん治療における革命ともたたえられています。本当にすばらしい発見だと思います。
ただ、すべての人に適用されるか、といえば、そうではありません。
免疫の働きには個人差があるため、非常によく効く人がいれば、効かない人もいるのです。
日本で保険適用されるのは、悪性黒色腫(皮膚がんの一種)、切除不能な進行・再発の非小細胞肺がんや胃がんや悪性胸膜中脾腫、頭頚部がん(舌がん、咽頭がんなど)などに限られています。
この薬の欠点は薬価が高い事です。
当初は「亡国の薬」と呼ばれたほど高価な薬でした。ただ、需要が高まったことから薬価はだんだんと下がり、現在は1瓶(20mg)で約3万6千円にまで下がっています。悪性黒色腫の場合、1回240mgを2週間間隔で点滴します。薬価が下がったとはいえ、いまだ高価な薬であることは事実です。年間に1700万円が掛かります。
保険適用のがんであれば「高額療養費制度」を使えるので、患者の出費は1カ月8万円ですみますが、それでも大きな金額といえるでしょう。
副作用の問題もあります。主な副作用としては、疲労や下痢、発疹、悪心、食欲減退、関節痛、嘔吐などがあげられます。重大な副作用は、甲状腺機能低下症や間質性肺疾患、肺臓炎、呼吸困難など多くの症状が考えられています。
つまり、オプジーボは、これまでになかった機序のすばらしい薬ですが、がんに対して万能ではないということです。
では、2人に1人ががんになる時代、私たちはどうやって身を守ればよいのでしょうか。
やはり「早期発見、早期治療、予防」がいちばんの道と考えます。
早期に発見できれば、手術で摘出することができ、なおかつ少ない切除範囲で済みます。
入院期間は短縮し、休職する期間は少なくできます。経済的な負担も少なく抑えられます。
がんで死亡する確率は大幅に軽減します。
胃がんはピロリ菌の除菌で、大腸がんはポリープ切除で、子宮頸がんはワクチンで、肺がんや食道がんは禁煙で、肝がんは肝炎ウィルスの治療で大変効果の高いレベルで予防できます。
人間ドックでは胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、食道がんを早期に診断することができます。
また、ピロリ菌や肝炎ウィルスの有無、大腸ポリープ診断に有用な便潜血検査を行いますので、人間ドックはがんの早期診断だけでなく、予防も視野に入れていることになります。
オブジーボはこれまでなすすべのなかった進行がんの症状を軽くします。
しかし、残念ながら完治を目指すことは難しいのです。
それでもノーベル賞に値した事は、進行したがんの治療がいかに難しいものかを物語っていると言えますね。